ナイキ、ズームを着用する無敵の速さ誇る選手たち…19人のアスリート

ナイキ、ズームを着用する無敵の速さ誇る選手たち…19人のアスリート
2015年6月29日(月) 00時00分 提供元: CYCLE
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ナイキ、ズームを着用する無敵の速さ誇る選手たち…19人のアスリート
ナイキ、ズームを着用する無敵の速さ誇る選手たち…19人のアスリート
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ナイキ、ズームを着用する無敵の速さ誇る選手たち…19人のアスリート
ナイキ、ズームを着用する無敵の速さ誇る選手たち…19人のアスリート
モー・ファラー
モー・ファラー
アリソン・フェリックス
アリソン・フェリックス
シェリー=アン・フレーザー=プライス
シェリー=アン・フレーザー=プライス
ゲーレン・ラップ
ゲーレン・ラップ
ジョーダン・ハセイ
ジョーダン・ハセイ
マシュー・セントロウィッツJr
マシュー・セントロウィッツJr
メリッサ・ビショップ
メリッサ・ビショップ
メアリー・ケイン
メアリー・ケイン
ローラ・ロースラー
ローラ・ロースラー
アダム・クチョット
アダム・クチョット
セルゲイ・シュベンコフ
セルゲイ・シュベンコフ
ダリア・クリシュナ
ダリア・クリシュナ
大迫傑
大迫傑
ベスウェル・バーゲン
ベスウェル・バーゲン
アンドリュー・オサジー
アンドリュー・オサジー
ハナ・イングランド
ハナ・イングランド
王春雨
王春雨
マイディーヌ・メキシ
マイディーヌ・メキシ
アナ・クラウディア・リモス・シルヴァ
アナ・クラウディア・リモス・シルヴァ

ナイキは、同社の「ズーム」を着用している無敵の速さを誇る選手たちを紹介している。

ズームを着用している選手は、リオ五輪への道のりで目まぐるしい速さで夏を迎えようとしている。そんな選手たちには共通点がふたつある。すでに名を成したレジェンドとこれからの若手アスリートに共通する点とは、炎のようなスピードで圧倒すること、そして反発性に優れたクッショニングシステムの「ズーム エア」のフットウェアで練習を重ねていることだ。

同社とアスリートの関係は、「アスリートを速くするための役に立ちたい」という目的から生まれた。これはナイキ共同創立者のビル・バウワーマンと、陸上界のレジェンドであるスティーブ・プリフォンテーンが築いた歴史に基づいている。

米国オレゴン州ユージーンの陸上トラックで、「限界を超える運動能力をさらに高めるイノベーションを提供したい」という熱意から育まれ、あらゆるスポーツにまで広がり進化した。それは今、ズームを着用するアスリートたちにも活かされている。

■ズームを着用しているアスリートたち

●モー・ファラー(オリンピックチャンピオン2回、世界チャンピオン3回)
モーは、英国ロンドンにいる普通の若者とほとんど変わらない。本当はフットボールがやりたくて、大好きなアーセナルフットボールクラブで活躍することを夢見ていた。

8歳の時にソマリアから家族で移住した。フットボーラーとしては活躍できなかったが、他の誰も持っていないスピードを持っていた。初めて英国チャンピオンになったのは14歳。その翌年には、ヨーロッパ陸上ジュニア選手権の5000mで優勝。以来、彼は天性の才能に、稀に見る熱意を陸上に注いでいる。

一世一代のレースとなったロンドン五輪の1万mファイナルでは、フィニッシュラインを越えた後、練習仲間のゲーレン・ラップが銀メダルのゴールした。「コーチは僕たちが1位と2位でフィニッシュするだろうと言っていたけれど、誰が先になるかは、はっきり分からずにいた。そしてあの場所に立って、全てが現実になっていくのを見た時、本当に信じられなかった」と語っている。

・オリンピック 金メダル 5000m、1万m
・世界チャンピオン3回  5000m、1万m
・2015年2月、室内2マイルで自身初の世界記録樹立

【次ページ アリソン・フェリックス、シェリー=アン・フレーザー=プライス】

■ズームを着用しているアスリートたち

●アリソン・フェリックス(オリンピックメダル6個獲得)
体重はたった125ポンド(約56kg)で、獲得したオリンピック金メダルが4つ。アリソンはスピードそのものだ。現在はランニングに専念しているが、高校1年で初めてトラックに立った時、自分がズームのチームメンバーになるとは考え難いことだった。

当時はぎこちない走りを見せていたが、2カ月後には米国カリフォルニアの州大会でトップ10の成績を納めた。2005年世界選手権200mでは短距離で史上最年少の金メダリストとなり、2007年には一度の世界選手権で3つの金メダルを獲得したふたり目の女性になる歴史を作った。

米国オリンピック委員会により2011-2012スポーツウーマン・オブ・ザ・イヤーに選ばれ、米国陸上界最大の栄誉であるジェジー・オーウェンズ・アワードを3度受賞。北京五輪200mの銀メダルという悔しさをロンドン五輪へのやる気につなげ、1988年のフローレンス・グリフィス=ジョイナー以来、初めて五輪陸上競技で3つの金メダルを獲得したアメリカ女子選手となった。

・オリンピックメダル6回獲得、米国女子選手として1度の五輪で3つの金メダルを獲得したふたり目の選手
・世界アウトドアチャンピオン3回、女子選手として初めて3回連続で200m優勝

●シェリー=アン・フレーザー=プライス
(オリンピックチャンピオン2回、世界チャンピオン2回)
シェリー=アンは、ズームのチームメンバーの秘密兵器だ。北京五輪で、ジャマイカ人女子選手として五輪100m初の金メダリストとなった時、彼女は「無名の存在」と呼ばれた。高校生の時には200mの試合には出たこともないシェリー=アンが世界チャンピオンになったのだ。

「生まれ育った環境が、我慢強さ、一生懸命働くこと、そしてスラム街で生き延びる意思の強さを与えてくれました。その環境から抜け出すため、自分と家族のために一生懸命でした」と語っている。

現在は「ポケット・ロケット」と呼ばれ、Facebookには58万5000人を超えるファンがいる。そんな彼女の高校の時のニックネームは、いつも緑のウエアを着て誰よりも小柄だったからことから「バッタ」だ。大学ではメデューサと呼ばれていた。世界陸上界の中心に立つ存在となった彼女は、小さい頃からの人目を引くニックネームそのもののような存在になっている。

・100m走 オリンピック金メダル 2回
・世界チャンピオン5回 100m、200m、4x100m

【次ページ ゲーレン・ラップ、ジョーダン・ハセイ】

■ズームを着用しているアスリートたち

●ゲーレン・ラップ(5大会連続米国チャンピオン)
サッカーボールを追い回していた米国オレゴン出身のゲーレンは、高校1年の時に世界が変わった。彼は「アルベルト(・サラザール)と練習を初めてほんの数週間たった頃、アルベルトは私をジュニアオリンピックの地区予選にエントリーさせたのです。週に6日も7日も走るなんて、当時はとても大変に感じました。でも私は州大会、地区大会に勝って、全国大会で2位になったのです」と語る。

「アルベルトは後になって、私がしっかりと頑張れば世界でも指折りの長距離選手になるだろうと思った、と話してくれました。世界記録を獲ったことのある彼からその言葉を聞くことで、世界でもやれる、という自信が湧いて、走り続けた場合の可能性に気づいたのです」と彼は続けた。

オレゴン州高校選手権で5回優勝、オレゴン大学"ダックス"にNCAAタイトルをもたらし、様々な記録を樹立。大学陸上の最優秀選手となり憧れのバウワーマンアワードを受賞、世界選手権でも頭角を見せ、ロンドンでは銀を獲得した。

・オリンピック 銀メダル 1万m
・アメリカアウトドアチャンピオン6回  1万m
・アメリカ記録保持者 1万m、インドア 3000m、5000&2マイル

●ジョーダン・ハセイ(NCAAインドアチャンピオン2回)
タテガミのようなポニーテールから「リトル・ポニー」の愛称で呼ばれるジョーダンは中学時代から記録を出しており、速さはよく知られていた。

スポーツ一家に育ったことも役に立ち、「小さい頃から、健康的なライフスタイルを送るという面では両親がお手本になりました。今プロアスリートになっても、私のすることすべてを理解してもらえるのでとても楽です」と語っている。

中学1年生の時、オレゴン大学のヘイワードフィールドで行われたジュニアオリンピックに出場し、1500m、3000mの両種目で米国記録を樹立。2008年、16歳のジョーダンはユージーン(ヘイワードフィールド)で行われた五輪予選の1500mで、米国高校生記録を更新。歴史に残る記録を作った高校生ランナーとして、オレゴン大学"ダックス"の一員となった。

・16歳でオリンピック予選決勝出場 1500m
・アメリカ高校生記録 1500m

【次ページ マシュー・セントロウィッツJr、メリッサ・ビショップ】

■ズームを着用しているアスリートたち

●マシュー・セントロウィッツJr(米国アウトドアチャンピオン2回)
父親はアメリカン大学の陸上部監督で、五輪にも2度出場したランナーだった。息子マシューの陸上への関心が生まれるのを遅らせるために、自分の考えとは逆のことを話す逆心理を実践していた。

エリートランナーが「どうやってスピードをつけたか」と訊かれると、「トレーニングや強い意思によって」と答えるだろう。だが、マシューは"遺伝子"だと答えている。「両親から来ています。なんでそう言えるかの理由は、父は2度オリンピックに出ており、母もランナーだからです」

サッカーから陸上に転向したのは、高校生になってからだ。オレゴン大学では、スティーブ・プリフォンテーン以来、初めてオレゴン大学"ダック"として米国アウトドア選手権の1500mで優勝(2011年と2013年)。大学生の資格を全うせずにプロに転向した。

1500mで世界選手権の銀と銅を獲得したが、自分のメダルコレクションに金を加えたいと目論んでいる。現在はナイキオレゴンプロジェクトの一員として練習。自己記録更新を続け、全国各地の大会記録を更新しつつ金メダルを目指し続けている。

・アメリカアウトドアチャンピオン 2回
・ディビジョン1 オールアメリカン 7度選出

●メリッサ・ビショップ(カナダチャンピオン2回)
中学2年生で陸上トラックに足を踏み出すまで、サッカーにホッケー、バレーボールをやっていた。コーチは彼女のストライドをみて「いつかオリンピックに行くのではないか」と、メリッサの家族に告げていた。家族はカナダのオタワでの2~3時間の練習のために、彼女を2時間かけてクルマで送り迎えしていた。

「私のキャリアにとって家族は大きな役割を担ってくれています。家族なしには自分の可能性に気づくこともできませんでした。今でも私の最大のサポーターであり、常に私が、何か理由があってこの道に立たされ、この才能を与えられたのだと思い起こさせてくれる存在です」と語っている。

レースを走ることについて、「800mが気持ちよくなることはないと思います。速くても遅くても、辛い。それなら速い方がいい」と語る。彼女は800mでカナダ最速の女性として、名前の後に「オリンピアン」の言葉がなんども加えられている。

・オリンピアン 800m
・カナダチャンピオン 2回 800m

【次ページ メアリー・ケイン、ローラ・ロースラー】

■ズームを着用しているアスリートたち

●メアリー・ケイン(米国チャンピオン2回)
5年生の時の1マイルを走った記録が6分15秒、中学1年生では5分03秒。しかもコーチの指導を受けずに走った記録だ。「初めて自分がいいランナーになれるかもしれないと思ったのは、中学3年生の時でした。同学年で一番足が速かったのが私ともうひとりの男の子だったのですが、トラックで競争することになりました。そして私が大差をつけて勝ったのです」と語る。

高校時代に、米国ジュニア、世界ジュニアと高校生記録を12も樹立。そして、ナイキのオレゴンプロジェクトのアルベルト・サラザールがメアリーの両親に、彼女が秘める可能性と彼女が速くなるために何をすべきかを伝えた。メアリーは高校卒業とともにプロへと転向した。

メアリーはオレゴン州ポートランドで、サラザールと練習を続けている。「こんなに機会が与えられて、走るだけの健康な体を持っている。何よりも、私はオリンピックを目指しています。それがすべてを導く夢なのです」と語っている。

・16歳でオリンピック予選決勝進出 1500m
・アメリカ インドア チャンピオン2回 1500m

●ローラ・ロースラー(NCAAチャンピオン5回)
高校1年で高校陸上界に現れたローラは、米国ノースダコタ州のクロスカントリーと陸上に旋風を巻き起こした。1年生で州のクロスカントリー大会で優勝、州の陸上大会では短中距離種目で圧倒的な成績を収め、卒業までには州大会優勝を22回も経験した。

しかし、ローラは高校での敗北がキャリアの転換点のひとつだと言う。「高校3年生の州陸上大会のとき、5、6年ぶりにレースで負けたのです。私は自分が焦って、悲しみに打ちのめされるのではないかと思っていたのですが、実際にはホッとして、それまでの長い間感じたことのないリラックスした気持ちになったんです。家族、友達やたくさんの観客は、それでも私を応援し続けていてくれて、その時になって自分を決めるのは勝ち負けではなくて、私がどんな反応をしたかとか、私の人となりがみんなの記憶に一番残るのだと気がついたのです」と語っている。

多くのエリートアスリートはまっすぐプロになるが、ローラは自分がまだ発展途上にあるため、教育とそして何より大学チームで走るということを望み、オレゴンでランニングをする道を選んだ。グループでの短距離トレーニングがプロになるための準備となり、NCAAディビジョン1全国チャンピオンに5回、オールアメリカンに17回選出を実現。

彼女が最も怖れていることを「自分がどんな人か、自分がどこから来たかを見失うこと」と語り、「成功や失敗で判断されることが多い世界や競技の中で生活していると、自分自身が試合に飲み込まれそうになってしまいます。最近母から、私が成功しているからではなくて、今の私の人となりを誇りに思う、と言れました。同時に彼女から私にそのことを忘れないように、常に謙虚であるようにとも言われました」と続けた。

・NCAAディビジョン1全国チャンピオン5回、オールアメリカン17回選出
・最も価値のある女子学生アスリートとしてバウワーマンアワード受賞

【次ページ アダム・クチョット、セルゲイ・シュベンコフ】

■ズームを着用しているアスリートたち

●アダム・クチョット(ヨーロッパチャンピオン5回)
ポーランドの農場で育ったアダムにとって、「一生懸命に仕事をすれば結果が目に見える」ということは経験上の事実だった。同時に、最初にしっかりとした決断が必要であることも知っていた。

トップランナーになるまで、フットボール、バレーボール、バスケットボール、ランニングと、アダムはあらゆるスポーツに取り組んだ。ランニングを始めたのは4年生の時。年上の生徒に簡単に勝っていたが、大きな街の高校に通うことを決めるまで、それが自分のキャリアになるとは思っていなかった。

1年の時はランニングのケガに悩まされ、学校をやめて村に戻ろうと考えた。母親が説得し、2学期目にはジュニアヨーロッパ選手権800mで銀メダルを獲得。今25歳の彼は、厳しいプロとしてのトレーニングスケジュールをこなしながら、ロッツ大学でエンジニアリングの学位を修得した。

・ヨーロッパチャンピオン 3回 800m
・世界インドアチャンピオンメダリスト 2回
・ポーランド記録保持者 800m

●セルゲイ・シュベンコフ(ヨーロッパチャンピオン3回)
シベリアのバルナウルに生まれたセルゲイは、プレッシャーがある時ほど強さを見せる。子供の頃、セルゲイはたくさんのスポーツに参加し、ランニングは12歳の頃に放課後の活動として始めた。

1986年ヨーロッパ選手権で7種競技銀メダリストを獲得したセルゲイの母親、ナタリアは彼が真剣に走るのをやめさせようとした。自分が80年代に使用していた施設は70年代に作られたもので荒廃しており、それによって彼の成功も難しくなるだろうと恐れたからだ。

しかし、長いシベリアの冬と標準以下のトレーニング環境という逆境が、セルゲイを強い選手へと育てた。彼は完璧を求めている。「私はまだ、あらゆることが完璧になったというところに向かっている途中なのだと思います。それができたことがないのです。体の状態が十分でないのか、強さが足りないのか…」と語っている。

60mと110mハードルで国際的に目覚ましい成果をあげた。ヨーロッパ選手権では金メダル、世界選手権と五輪では銅メダルなどを獲得。現在はスピードと体の状態を研ぎ澄ますこと、レースを走るごとに新しいことを学ぶことにフォーカスしている。

・世界選手権 銅メダル 110mハードル
・ヨーロッパアウトドアチャンピオン2回 110mハードル

【次ページ ダリア・クリシュナ、大迫傑、ベスウェル・バーゲン】

■ズームを着用しているアスリートたち

●ダリア・クリシュナ(ヨーロッパチャンピオン3回)
8歳の時からバレーボールを始めた。13歳までは彼女にとっての一番のスポーツだったが、ロシアのトヴェリで市が主催するリレーに参加した時、目利きのコーチが彼女を見かけて陸上に取り組むことを勧めた。

ダリアはふたつのスポーツを両立することは不可能と考えて、陸上への転向という決断を下した。自身も陸上選手であったダリアの両親も、彼女の転向を支持。その時ひとつだけダリアが言われたのは「陸上は個人競技であり、バレーボールはチームでやるもの」であること。彼女もその違いを理解して自分の道を決めた。

長い脚と細い体が走り幅跳び向きだということを発見するまで、ダリアとコーチはハードル、短距離と三段跳びも試した。そして、最後に跳躍向きだと判断。100m以上の距離を走るのは好きではなく、練習で好きだったのはウエイトリフティングだった。ダリアにとって、スピードはフィニッシュラインに行くものではなく、飛び上がるためのものだ。「ロングジャンパーに必要なものは、スピード、ランニングとジャンピング技術のバランスです」と語っている。

・ヨーロッパチャンピオン 3回 走り幅跳び
・ロシアジュニア記録 走り幅跳び

●大迫傑(ユニバーシアード1万m金メダル)
日本の記録を塗り替えるために日本を離れた。日本の学生ナンバー1ランナーとして、元五輪選手の渡辺康幸コーチのもとで練習を重ねたが、僅差で五輪代表入りを逃した。その後、ナイキのオレゴンプロジェクトでアルベルト・サラザールのもとで練習を始めた。

以来、日本記録を3度更新。ミルローズゲームズの5000mで13分28秒00の記録を作り、ズームのチームメンバーとして迎え入れられた。米国ニューヨークのアーモリートラック・インビテーショナル大会の2マイルで2位は快挙だった。2014年アジア大会1万mでも銀メダルも獲得したことで、伸び盛りの新星であると実感できる。

・日本記録 5000m(室内)
・アジア大会 銀メダル 1万m
・ユニバーシアード 金メダル

●ベスウェル・バーゲン(2014世界インドア選手権1マイル種目でケニア人トップ)
2009年、デビュー戦のヨーロッパツアーで1500mの自己新を作って以来、ベスウェルほど意思の強さに裏打ちされた安定性のある進歩を見せる選手はいないだろう。

3000m、マイル、1500m、アウトドア、インドアの各種目で常に記録を縮め(1500mでは09年から4秒、マイルではほぼ7秒)、2016年のメダル候補へと変身していった。1500mの自己記録である3分30秒77は歴代トップ50に入る記録で、インドアのベストの3分34秒65は歴代20位以内。2013年のモナコ・ヘラクレス大会では1500mで5位、2013年世界選手権では準決勝に進んだ。

・マイルの自己記録  3分50秒42
・トラック&フィールドニュースのマイル種目世界トップ10に2度ランクイン
・2014世界インドア選手権1マイルでケニア代表中1位、総合8位

【次ページ アンドリュー・オサジー、ハナ・イングランド、王春雨】

■ズームを着用しているアスリートたち

●アンドリュー・オサジー(世界インドア銅メダル2回)
小さい頃はフットボール、バスケットボール、水泳、テニス、バドミントンと、あらゆることをやっていた。そして自分がフットボールをするために生まれたと考えていた。

大学チームでゴールを決めた時に、「これで決まりだ。トップチームに入って、キャリアを進んでいける」と考えていた。だが、試合の最後のキックで靭帯を断裂。「もともと大学は陸上のために来たのだけど、陸上をするとなればフットボールをやめなくてはいけない」と考えたが、陸上への熱意が彼を推し進めケガをも乗り越えさせた。

ケガの多くは左右の足の長さが9mm違うことが主な原因で、そのため変わった練習方式を取り入れざるを得ない状況だった。多くの世界レベルの選手よりも少ない距離を走っていても、彼は早く走ることができた。表彰台はそれほど遠い所ではないと知っている。

・世界インドア 銅メダル2回 800m
・オリンピック決勝出場 800m

●ハナ・イングランド(UKチャンピオン3回)
ハナのキャリアは"稀な素材を生かしきることができるか"の挑戦だった。若い頃は特に器用でもなかったと認める一方、現在では自分の体をよりうまく使えるようになっている。「"長いてこ"を持った体をどううまく使いこなせるか、というのが問題なのです」と語っている。

初の快挙は、英国バーミンガムで行われたイベントで15歳以下の競技に出場した頃のことだ。全国ジュニアチャンピオン、世界ジュニア代表、米国フロリダ州立大学ではNCAAチャンピオンになった。現在では世界選手権の表彰台にも立つようになり、全ての「てこ」が正しい方向に使われているようだ。

・世界選手権 銀メダル 1500m
・UKアウトドアチャンピオン 3回 1500m

●王春雨(アジア大会チャンピオン)
春雨の存在が、中国のユース陸上界を盛り上げている。彼女が頭角を見せたのは、15歳の時の地元大会と、16歳になった年の2月に最年少で全国インドア大会で優勝したときのことだ。

16歳で出場した世界ユース選手権で800mの自己新記録2分03秒23をだした。これは中国人としては5年半ぶりに出した良い成績であり、中国ユース選手としては14年来のベスト記録、16歳の800mランナーとしては中国での最高記録となった。その2年後、2013年アジア大会女子800mで金メダルを勝ち取った。

・アジア大会ゴールドメダル 800m
・世界ユース選手権 800m 銀メダル

【次ページ マイディーヌ・メキシ、アナ・クラウディア・リモス・シルヴァ、】

■ズームを着用しているアスリートたち

●マイディーヌ・メキシ(ヨーロッパチャンピオン3回)
中距離ランナーは、他の種目の選手とは少し変わった性格を持つことで知られている。マイディーヌもその流れをくんだ、炎のような速さを持つエキセントリックなスピードスターだ。フランス・ランス生まれ、30歳の中距離ランナーを突き動かすのは、自立心とフィニッシュラインを目指す尽きない欲望だ。

2014年、3000mのホームストレッチで勝利を喜ぶあまりシャツを脱いで失格になった事件以来、マイディーヌは逆境から立ち上がり自分の強さを見せる機会を得ることになる。「失格になったあと、唯一私ができることはもう一度トラックに戻り、そのタイトルを勝ち取ることでした。私はそれを実現しましたが、それほど多くのアスリートにできることではなかったでしょう」と語る。

・オリンピック銀メダル 2回 3000mSC
・ヨーロッパアウトドアチャンピオン 3回 3000mSC
・世界選手権銅メダル 2回 3000mSC

●アナ・クラウディア・リモス・シルヴァ(南アメリカチャンピオン5回)
アナは自分の中にある速さに気づくまで、すこし時間がかかった。そして、多くのブラジル人先輩アスリートと同様、フットボールがなければ自分が五輪に行く機会に気づくことがなかったかもしれない。彼女のスピードはピッチの上で見出されたが、ランニングへの情熱を高めるには時間がかかった。

2009年、ジュニアレベルで4年間勝ち続けたあと、アナは決断に迫られた。これからも友達とモールに買い物に行く生活を続けるか、五輪の金メダルを目指すか。その時に気づいたことは「自分が試合や練習の時に一番ハッピーになれる」ということだった。

新しいコーチ、ブラジル人オリンピアンのナカヤ・カツヒコに師事し、彼とともに練習を始めた。2010年南アメリカ選手権はコロンビアの高地で行われたが、100mベスト記録を0.4秒縮め、ルシマー・デ・モーラが持つ南アメリカ記録の11秒17に並んだ。2013年にはグランデ・プレミオ・ブラジルのカイシャ・ゴヴェルノ・デ・パラ・デ・アトレティスモで、大陸記録の11秒05を樹立した。

・南アメリカチャンピオン 5回 100m、200m、4x100m
・全米大会 金メダル2回 200m、4x100
・南アメリカ記録 100m、200m

《美坂柚木》

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