【THE REAL】なでしこジャパンの新星・京川舞が胸中に同居させた悔しさと二刀流への決意

京川舞(2015年8月4日)
2015年8月10日(月) 18時00分 提供元: CYCLE
【ダイエットクラブからのお知らせ】習慣化SNS「マイルール」はじめました!
京川舞(2015年8月4日)
京川舞(2015年8月4日)
東アジアカップ(2015年8月4日)
東アジアカップ(2015年8月4日)
京川舞(2015年8月4日)
京川舞(2015年8月4日)
京川舞(2015年8月4日)
京川舞(2015年8月4日)
京川舞(2015年8月4日)
京川舞(2015年8月4日)
京川舞(2015年8月4日)
京川舞(2015年8月4日)
京川舞(2015年8月4日)
京川舞(2015年8月4日)
京川舞(2015年8月4日)
京川舞(2015年8月4日)
京川舞 参考画像(2014年3月5日)
京川舞 参考画像(2014年3月5日)
内田篤人 参考画像(2015年2月6日)
内田篤人 参考画像(2015年2月6日)

なでしこジャパンのプライドを背負ってピッチに立ち、日の丸の威信をかけて国際試合の真剣勝負に臨み、勝利を目指して必死にプレーした結果として初めてわかることがある。

一瞬の判断ミスが失点へとつながり、地獄へと突き落とされる。国内リーグや年代別の代表戦とはまったく異なる厳しさを、21歳の京川舞(INAC神戸レオネッサ)は味わわされたはずだ。

中国・武漢で開催されている東アジアカップ。韓国女子代表と対峙した5日の第2戦は1対1のまま、4分間が表示された後半のアディショナルタイムに突入していた。

日本のペナルティーエリアの左隅でこぼれ球を拾ったFWチャン・スルギが、日本のゴールから遠ざかる方向へドリブルを始める。体勢を立て直そうとしているINAC神戸のチームメイトを、しかし、追いかける京川は必要以上にタイトにマークしてしまう。

ボールを奪ってカウンターを仕掛けられる、という予感がはたらいていたのか。チャンの背後から強引に体をねじ込もうとした瞬間に、京川は不用意にも手を使ってしまった。

すかさず鳴り響く主審のホイッスル。ゴールまで約20m。約45度の難しい位置から鮮やかに決まったMFチョン・ガウルの直接フリーキックが、なでしこの連敗と優勝の消滅を告げた。
ファウルを犯した瞬間から表情をこわばらせていた京川は、試合後にこんなコメントを残している。

「あの時間帯で他にも味方がいたので、自分が行かなくてもよかった。反省です」

チャンの対面には、MF横山久美(AC長野パルセイロ・レディース)が立ちはだかろうとしていた。自陣のペナルティーエリア付近で余計なファウルを与えることなく、京川と横山とではさみ込んでチャンの自由を奪う。こうしたプレーが、あの場面におけるセオリーだった。

準優勝した女子ワールドカップから約1カ月。カナダの地で戦ったメンバーの招集を6人だけにとどめ、代表歴の少ない若手や中堅を抜擢した顔ぶれを、佐々木則夫監督は「チャレンジなでしこ」と命名。そのうえ熱いエールを送っていた。

「最低でも3分の1に、来年のリオデジャネイロ・オリンピックに関わってきてもらいたいと思う」

京川にとって、東アジアカップは実に3年5カ月ぶりとなるなでしこジャパンへの招集だった。前回は女子サッカー界の名門校、常盤木学園の卒業を目前に控えていた18歳。自他ともに認めるゴールハンターとして、ロンドン・オリンピックの前哨戦となるアルガルベカップに臨んだ。

【京川舞が胸中に同居させた悔しさと二刀流への決意 続く】

しかし、武漢の地で実際にピッチに立った京川の視界には、いままでと異なる光景が映っていた。初戦の北朝鮮戦、そして韓国戦で任されたのは右サイドバック。U‐23日本女子代表の一員として臨んだ今年2月のラ・マンガ国際大会で初めて経験した、ほとんど未知のポジションだった。

もっとも、京川自身は日本を発つ前からサイドバックとの「二刀流」をイメージしていた。愛知・名古屋市内で7月下旬から行われた短期合宿。紅白戦で左MFとしてプレーしていた京川に、佐々木監督が大声で指示を出した。

「京川、ひとつ下がれ」

INAC神戸では左MFを主戦場として、東アジアカップで中断する直前のASエルフェン埼玉戦での決勝弾を含めて、3試合連続ゴールをマーク。チームで最多、リーグでは3位タイとなる7ゴールを引っさげてなでしこジャパンに合流した京川は、落胆するどころか新たな闘志をかき立てていた。
「どのポジションでもピッチに立てれば嬉しいことなので。欲を言えば中盤の左サイドをやりたいというのはありますけど、与えられたポジションで結果を残したい。どのポジションであれコンディションを整え、ハードワークをしてゴール前にも顔を出して、自分の長所をアピールしてきたい」

佐々木監督は京川のスピードとスタミナ、そして得点に絡めるセンスにサイドバックとしての適性を見出したのだろう。指揮官から「どんどん走って、相手のディフェンスの裏を突いていけ」と背中を押された京川は、自身の引き出しのなかからサイドバックに必要な材料を探し当てていた。

「INACでは左サイドで、左サイドバックの鮫島さんと組んでいるので、鮫島さんがボールをもったときのイメージを思い出しながらプレーしました。サイドは違いますけど、右サイドバックの近賀さんのプレーもイメージするようにはしています」
左の鮫島彩と右の近賀ゆかりは、4年前にドイツで開催された女子ワールドカップを制したなでしこジャパンの両サイドバックだ。彼女たちの一挙手一投足を常に間近で見てきた日々は、サイドバックとしての経験不足を補ううえで何よりも心強い。

そして、ふたりの先輩のプレーをただ模倣するのではなく、自らにとってプラスになる部分をピックアップする作業に京川は新鮮な喜びを覚えていた。

「サイドバックは前を向いてボールをもてるシーンが多いし、その意味ではオーバーラップの部分で運動量や走力も生かせるので、プレーしていて楽しい部分もありますね。ボールを触らずに相手の裏を取る動きもそうですし、ボールを誰かに預けて、そこから前線へ飛び出していくところでハードワークができれば。体力的には人並みよりもちょっとは走れると思いますし、暑さも好きなので」

【京川舞が胸中に同居させた悔しさと二刀流への決意 続く】

不慣れゆえに、冒頭で記した韓国戦のファウルのようなミスも犯す。北朝鮮戦の前半22分には、ドリブルでペナルティーエリアに侵入してきた相手選手へ背後から見舞った京川のスライディングタックルが、ファウルと判定されている。

このときのPKは、ゴールキーパー山根恵里奈(ジェフユナイテッド千葉レディース)のファインセーブで事なきを得た。肝を冷やした一方で、こうも思ってしまった。京川のスピードだからこそ、相手選手に追いつけたのではなかったか、と。

京川のプレーは、日本代表の右サイドバックとして長く活躍してきた内田篤人(シャルケ)をも彷彿とさせた。

清水東高校時代の内田はスピードとテクニックを兼ね備えた司令塔だったが、相手の厳しいマークに前を向けず、プレーがどんどん消極的になる悪循環に陥っていた。
そうした状況を打開するために打ち出されたのが、右サイドバックへのコンバート。前方にスペースが広がっているほうがスピードを生かせると確信していた当時の梅田和男監督は、一方でこうも語っていた。

「たとえ裏を取られても、篤人のスピードなら追いつけましたからね」

果たして、背番号「10」のまま右サイドバックで躍動した内田は鹿島アントラーズの目に留まり、加入して5年目の夏にドイツへと飛び立っていった。

年代別の日本代表で点取り屋役を任されてきた京川は、U‐19女子日本代表が優勝した2011年のU‐19女子アジア選手権で得点王とMVPにも輝いている。

もちろん今後の精進次第となるが、鮫島や近賀、今回の女子ワールドカップでシンデレラとなった有吉佐織(日テレ・ベレーザ)、そして内田とはまた違ったサイドバックを演じられる可能性を秘めているといっていい。
時計の針を、3年5カ月前の2012年シーズン序盤に戻す。

アルガルベカップでなでしこジャパンデビューを果たした京川は、INAC神戸のルーキーながらレギュラーの座をゲット。開幕から4試合で5ゴールをあげて、得点ランキングのトップに立つ大活躍に、佐々木監督はロンドン・オリンピック代表への大抜擢を示唆したほどだった。

しかし、好事魔多し。直後のリーグ戦で左ひざの前十字じん帯を断裂し、さらにはじん帯と半月板を損傷する全治6カ月以上の大ケガを負ってしまう。翌2013年シーズンに復帰を果たした直後にも、同じ箇所を痛めて再びメスを入れる悪夢に見舞われた。

【京川舞が胸中に同居させた悔しさと二刀流への決意 続く】

完全復帰へ向けて悪戦苦闘していた当時の京川から、こんな言葉を聞いたことがある。

「まだ自分自身のスタイルというか、こういう選手になりたいというビジョンをもてていない。その意味では、男子で言えば岡崎慎司選手や大久保嘉人選手、佐藤寿人選手のように、ワンタッチでゴールを仕留められるストライカーになりたいという思いがあります」

ようやくトップフォームを取り戻し、憧れてきた泥臭いワンタッチゴールを量産するようになった今シーズン。周囲から寄せられる期待の大きさと自分自身の現在位置とのギャップに悩み、苦しんできた日々を京川は笑顔で振り返った。

「私に実力がなかったから、そういう部分でのメンタルの弱さがケガにつながったのかなと、いまでは思えるようになりました。長い時間があったからこそ、サッカーの部分でも体の部分でも自分を見つめ直すことができた。遠回りしていても、私にとってはすごくプラスになる時間でした」
先の女子ワールドカップは全試合、テレビの前で応援した。この大会で6大会連続のワールドカップ出場を果たしたレジェンド澤穂希(INAC神戸レオネッサ)は、準優勝後にこんな言葉を残している。

「次は(京川)舞たちに代表へ入ってきてほしい」

そして、世代交代は「起こる」ものではなく「起こす」ものだと、京川は決意を新たにしている。

「先輩たちの姿を見てきたからこそ、いまの私たちがある。自分もああいう選手になりたい、世界の舞台で戦いたいと気持ちにいまもさせていただいている。先輩たちに大きな背中を見せてもらってきたからこそ、私も期待に応えたいし、なでしこジャパンとして同じピッチに立ちたい」

代表メンバーの数は、女子ワールドカップの23人からオリンピックでは18人に減る。つまり、複数のポジションでプレーできる選手は、それだけオリンピック代表との距離を縮められることになる。

サイドアタッカーと左右両方のサイドバック。そして、必要なときにはフォワードとしても。プレーの幅を広げるチャンスを得たことが、京川の瞳をさらに輝かせる。

「いろいろなポジションをできたほうが、この先、招集される人数が少ないときでも呼んでもらえると思うので。オリンピックまでは試合数も合宿も少ないと思うので、できることはすべてやっていきたい」
連敗を喫した東アジアカップで、佐々木監督は積極果敢に敵陣へ攻め上がり、幾度となくチャンスを作り出した京川に「非常にアグレッシブだった」と及第点を与えている。

サイドバックとして犯してしまったミス、露呈してしまった甘さや拙さを決して忘れることなく、今後の成長への糧とすればいい。

来年のリオデジャネイロ・オリンピック、4年後のワールドカップ・フランス大会、そして26歳で迎える東京オリンピックへ。162cm、52kgの体にさらなる可能性を詰め込んだ京川が、3年越しのスタートラインに立った。

《藤江直人》

関連記事