【THE INSIDE】女子プロ野球をより認知してほしい…埼玉アストライアの中心選手に聞く

埼玉アストライア・渚投手
2015年8月15日(土) 00時00分 提供元: CYCLE
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埼玉アストライア・渚投手
埼玉アストライア・渚投手
埼玉アストライア・渚投手
埼玉アストライア・渚投手
埼玉アストライア・中野菜摘内野手
埼玉アストライア・中野菜摘内野手
埼玉アストライア・川端友紀内野手
埼玉アストライア・川端友紀内野手
埼玉アストライアの背番号23・川端友紀内野手
埼玉アストライアの背番号23・川端友紀内野手
夢を語る渚投手(埼玉アストライア)
夢を語る渚投手(埼玉アストライア)
埼玉アストライア・中野菜摘内野手
埼玉アストライア・中野菜摘内野手
埼玉アストライア・中野菜摘内野手
埼玉アストライア・中野菜摘内野手
独特のフォームの渚投手(埼玉アストライア)
独特のフォームの渚投手(埼玉アストライア)
野球への想いを語る川端友紀内野手(埼玉アストライア)
野球への想いを語る川端友紀内野手(埼玉アストライア)

今年で創設されてから、6年目を迎えた女子プロ野球。まだまだチーム数も少なく、広く知られていないこともあるが徐々に認知されていっている。

そして、その普及のために選手たちも一緒になって、邁進している。だから、自分自身の技術向上や、プレーを高めていくということもさることながら、より多くの人たちに女子プロ野球の存在を知らしめて行こうという、そんな意識も強く持っている。

そんな女子プロ野球、埼玉アストライアの中心選手に想いを聞いてみた。

■女子プロ野球をより多く認知してほしい

【埼玉アストライア編】

●渚(半田渚)
・背番号:1
・ポジション:投手
・出身地:京都府
・球歴:駒沢学園女子~大阪体育大~ドリームス(2012年)~アストライア(2013年~)
---:最初に、渚選手自身の野球との最初のかかわりについて教えてください。

渚選手(以下、敬称略):最初は、2歳上の兄の野球の練習についていったところからでした。

---:実際、野球をやってみてどうでしたか?

渚:中学では男子の中でやっていて、それでも野球を続けたいという気持ちになりましたから、高校で野球のやれるところということでいろいろ探しました。当時は5校くらいしかありませんでした。その中から駒沢学園女子(東京)を選びました。

---:故郷を離れても、そこでやりたかった?

渚:そうですね、女子だけでやれるということも新鮮でした。

---:大学は、関西へ戻って大阪体育大学へ進学。教員を目指すとかでしょうか?

渚:私はスポーツマネジメントに興味があって、その勉強をしたかったんです。それで大学では男子の野球部の補助をしながら、手伝っていました。女子野球のクラブチームで大阪BLESSというのがあって、そこでもやっていましたから、自分の練習もしたくなってしまったんですね。

---:大学には女子のチームはなかったわけですよね?

渚:はい、それで大学1年の冬に作っちゃったんですよ。

---:ということは、マネジメントを勉強したというよりも、実践してしまった?

渚:そうですね(笑)。それで3年生になった時からは、試合ができるようになりました。その年に女子プロ野球ができたと思います。
---:すると、それで目標が女子プロ野球になったと?

渚:いや、私としてはマネジメントにこだわっていて、女子プロ野球のスタッフをやって、その環境を求めたいなと思いました。ただ、(選手として)野球を続けたいという気持ちも強かったですから。

---:それで4年目となったのですが、身長154cmとそれほど大きいわけではない渚さんが投手として実績を残せている、その特徴は何だと思いますか?

渚:私はスピードや球威があるわけではないですが、緩急を使って、ボールの奥行きで勝負していくタイプだと思っています。タテのタイミングを外していくという投球です。

---:現役プレーヤーとしての目標は何ですか?

渚:やっぱり、タイトルがほしいですね。

---:目指しているマネジメントという立場からはどうでしょうか?

渚:私たちの頃は、高校で女子野球部がある学校は5校しかありませんでした。それが、今は19校になっていると思います。こうして女子野球をやれる環境がどんどん広がっています。大学でも作っていっているところが増えてきました。その目標となるような女子プロ野球であっていきたいです。

【次ページ 中野菜摘内野手に聞く】

●中野菜摘
・背番号:4
・ポジション:内野手
・出身地:福岡県
・球歴:神村学園~尚美学園大~アストライア(2013年~)

---:最初に、中野選手自身の野球との最初のかかわりについて教えてください。

中野菜摘選手(以下、敬称略):父が少年野球チームの監督をやっていて、それに着いていったのが最初でした。姉がふたりいましたが、小学校2年の時からやっています。
---:実際、野球をやってみてどうでしたか?

中野:反復練習が多かったので、面白いというよりも繰り返しでしたが、試合に出られるようになって、やれないことをできるようにしようと思えるようになりました。

---:やはり、試合に出られるようになって、面白さが増してきた?

中野:中学でも硬式で続けて、高校進学では硬式野球のあるところで神村学園(鹿児島)に決めました。

---:中野さんは福岡県出身です。鹿児島県の神村学園に進学したということは、そこからは覚悟を決めて野球に取り組んでいくということですよね?

中野:そうですよ。大学もそうでしたけれども、今はもっと、皆が高いところを目指してやっていますから、意識も高いところを目指しての勝負なので、楽しいですね。
---:今の目標として掲げていることは?

中野:タイトルを獲りたいですね。ベストナインに選ばれるように、がんばりたいです。

---:野球をやっている小中学生、高校生の女子選手へ向けて、メッセージをお願いします。

中野:今、何のためにやっているのかということを考えてやってほしいですね。それがきちんとしていると練習にもつながっていくと思いますし、目標もしっかりとできてくると思います。

【次ページ 川端友紀内野手に聞く】

●川端友紀
・背番号:23
・ポジション:内野手
・出身地:和歌山県
・球歴:市立和歌山商(ソフト)~塩野義製薬(ソフト)~ドリームス(2010年~)~アストライア(2013年~)

---:お兄さんが、プロ野球選手(東京ヤクルト・川端慎吾)として活躍しています。川端選手は兄の影響で野球を始めたのでしょうか?

川端友紀選手(以下、敬称略):そうですね、父と兄の影響です。小学校3年くらいから野球を始めています。チームにもひとつ上に女子がいましたから、自然に溶け込めました。
---:比較的スムーズに野球に取り組めたということですね?

川端:そうでもないです。私は下手でしたから…。まったく何もできませんでしたからね。でも、何とか兄に近づきたいと思って、やっていました。

---:その思いが、今日を作ったということですね。

川端:負けず嫌いなので…。ちょっとでも上手になりたいという気持ちは強かったと思います。その思いでよく練習したと思います。

---:それで、そのまま野球にハマっていったのですか?

川端:中学、高校はソフトボールだったんです。中学生になって、身体も大きくなったということで、力もついて打球も速くなったと思っていました。高校ではインターハイは出場できなかったのですが、春の選抜大会は全国に出られました。
---:ソフトボールでは、実業団(塩野義製薬)にも進んでいますよね。

川端:ソフトボールでオリンピックに出場したいという気持ちもありましたから。だけど実業団に入って、ちょっと違うかなぁという気になって辞めたんです。ちょうどそのタイミングで女子プロ野球がスタートするということを聞きました。

---:それで、女子プロ野球の世界に飛び込んだということですね。

川端:すごく新鮮で、楽しくて…という感じでした。

---:創設期からのメンバーということですよね。

川端:小学校の時に、男子に交じってやっていたのですけれども、やはり女子だけでできるというのがいいですね。それに「こんなにうまい子がこんなにいるんだぁ」という驚きもありました。

---:首位打者も3回獲得して、押しも押されぬ中心選手というか、女子プロ野球の看板選手となっています。今の目標として掲げていることは?

川端:まだまだ、上を目指していかなくてはいけないと思っています。そして、女子のプロ野球がもっと認知されていってほしいと思います。そのためには、ひとりでも多くの人に見に来てほしいと思っていますし、私ももっといいプレーを見せていかなくてはいけないと思っています。

---:今、野球をやっている女子選手に向けてメッセージをお願いします。

川端:夢と目標に向かってがんばることは大切なことだと思います。今の「野球が好きだ」という気持ちを忘れないでがんばっていってほしいと思います。

《手束仁》

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